2010年12月15日

忠臣蔵(2)


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吉良邸からすぐ近くにある回向院。

江戸を襲った「振袖火事」と呼ばれる明暦の大火。
江戸市街地の6割を焼き、10万人以上の人名が失われました。
時の将軍・家綱は亡くなられた無縁の人々の亡骸を手厚く葬りました。
それが回向院の始まりとされています。

ねずみ小僧(鼠小僧次郎吉)のお墓もここにあります。

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今ではこの近くにある両国国技館で行われている大相撲ですが、
江戸時代においては主に公共社会事業の資金集めのための
勧進相撲興行という形態をとっていました。
その勧進相撲の中心としてこの回向院は存在してもいました。

今でも若い力士が、力がつくようにと
回向院にあるこの力塚を詣でます。


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さて、討ち入りを果たした四十七士一行は、
この回向院への立ち入りを拒否されます。

その後、当初予定していた両国橋
(昨日掲載の風景印に登場)へ辿り着きますが、
両国橋を渡ればそこは大名屋敷街。

東上してくる追手との鉢合わせを回避すべく
四十七士は隅田川を渡らずに、そのまま南下していきます。
両国橋の南、次の橋は新大橋。途中、隅田川の支流を一行は渡ります。

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小名木川に架かる萬年橋。
北岸には徘聖・松尾芭蕉が居を構えた地があります。

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「おくのほそ道」に旅立つ前の芭蕉、最後の庵が採茶庵です。
ここから手前の川を舟で隅田川を北上して千住まで進み、
「おくのほそ道」のスタートは切られました。

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新大橋を南下。隅田川に架かる次の橋は、清洲橋。
関東大震災後の復興事業として、
ドイツのケルン橋をモチーフにつくられました。
勝鬨橋、永代橋と共に国重要文化財に指定されている名橋です。

この橋を過ぎると、四十七士が休息をとった場所としての碑が建っています。

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この時点では既に相当の疲労もあったでしょう。
しかしまだ隅田川を渡っていません。

次の永代橋で隅田川を渡る四十七士。

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永代橋を越えて、茅場町、京橋、銀座など、
築地本願寺、新橋にある主君・浅野内匠頭最期の地を経て、
右手に増上寺を目にしたりしながら、泉岳寺へ急ぎました。

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東京タワーは当時まだありませんでしたが、
四十七士はこの増上寺を同じように見たでしょうか。

いよいよ主君が眠る泉岳寺に到着です。

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<ご当地フォルムカード>第二弾/東京都(東京タワー)が
当地で記念撮影です。

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(つづく)