2010年08月31日

おくのほそ道-奥州路(1)




我が国の紀行文学史上に残る傑作「おくのほそ道」。

"日本三景"松島から石巻・登米をはさみ
松尾芭蕉と河合曾良のふたりは、いよいよ「おくのほそ道」奥州路のクライマックス、
平泉(岩手県)に入りました。

平泉をめぐる際、逗留したのが一関市の金森邸。
ここは「おくのほそ道」奥州路における最北の宿で、
二泊したことからその宿跡(邸跡)は「二夜庵」と呼ばれています。

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ここを拠点として平泉を遊趣して戻り、そして、
ここから尿前ノ関を越えて出羽路へと入っていきました。


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芭蕉の名句が生まれた地は多々ありますが、平泉でのそれも白眉です。

<夏草や 兵どもが 夢のあと>。

三代に渡った奥州藤原氏の栄華と義経を想い、したためました。
強者たちの足跡。

悲劇の義経最期の地である高舘義経堂から
北上川と束稲山、栄華の跡を眺めます。

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奥州藤原氏の栄華三代の頃(平安時代末期)には、
平泉には10数万人の人口があったとされ、国内で平安京に次ぐ大都市でした。


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その平泉は現在、世界遺産登録を目指しています。
2008年には世界遺産登録の延期が決定されましたが、
来年の登録を目指しています。

登録推薦を行う「平泉の文化遺産」。その中の一つが中尊寺です。

<ご当地フォルムカード>第一弾&第二弾/岩手県(わんこそば/かっぱ)が
まずは中尊寺を訪れました。


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中尊寺へ入る目前、道路沿いに武蔵坊弁慶の墓があります。

弁慶といえば、牛若丸(義経)と弁慶。
義経の忠臣だった弁慶は最期まで義経を守り、
のちに"弁慶の立ち往生"といわれる最期を迎えました。

矢を放たれても義経を守り立ち続けて息絶えた弁慶。ここに静かに眠ります。


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中尊寺。参道は大きな杉並木に囲まれた月見坂。
<ご当地フォルムカード>第二弾/岩手県(かっぱ)が佇みます。


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<ご当地フォルムカード>第一弾/岩手県(わんこそば)も
真夏の中で涼感漂う竹林を前に記念撮影です。


そして、国宝・金色堂へ向かいます。

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芭蕉が<五月雨の 降り残してや 光堂>と詠んだ金色堂へと
つらなる石段と新覆堂。

シャワーのようにひととき降った雨が、ほどよく石段を濡らしています。

この新覆堂の中に燦然と光を放ちながら屹立する、国宝建造物第一号の金色堂。

ここには奥州藤原氏初代・清衡、二代・基衡、三代・秀衡の御遺体、
四代・泰衡の首級が安置されています。

血筋が明らかな四代親子の御遺体の存在は、世界に例を見ないということです。
荘厳な空間がこの中には広がっています。


金色堂を訪れて坂道をまた登ると旧覆堂が見えてきます。
その手前に松尾芭蕉の銅像と句碑が建っています。

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金色堂に溜息をもらし、
芭蕉の句がごとく降り残した雨が濡らした石畳を下り、
<ご当地フォルムカード>は中尊寺を後にして毛越寺へと向かいました。