2010年08月24日

龍馬ゆかりの地-3



龍馬をめぐる横須賀エリアの旅、最終回。
浦賀と大津を辿ります。

1860年。日米修好通商条約の批准書を交換するため、
幕府は米国に遣米使節を派遣しました。
本隊となる米国海軍船の護衛名目で随行したのが、咸臨丸。

福沢諭吉、ジョン万次郎などと共に乗り込んだのが勝海舟。

航海中の勝が船酔いで使い物にならなかったという説や
伝染病に感染したため自室に籠っていたという説などがありますが、
いずれにせよ咸臨丸の船内環境や航海中の天候(悪天候が続いたといわれています)
などにより、厳しく過酷な旅だったことが想像されます。

海外で見聞を広めた勝は、攘夷論ではなく、
欧米列強との関係性を踏まえて開国を説きました。

その勝に面会を申し入れて赤坂の勝邸を訪問したのが、
攘夷論を押し進める坂本龍馬。相反する考え方の二人が邂逅しました。

考え方の相違から、勝を斬りに来た龍馬でしたが、
勝の見識の広さに敬服し、弟子入りしたわけです。

龍馬は勝より先に亡くなります。
長生きした歳上の勝。勝の半分の年齢も生きなかった龍馬。

<ご当地フォルムカード>第二弾/高知県(坂本龍馬)が時を経て、
勝と再会を果たしました。


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横須賀市浦賀。黒船が来航した地。
ペリー来航から七年後、咸臨丸で米国へ旅立つ前、
勝はこの地で断食してまで切実な想いで航海の無事を祈願しました。

この高台から海側へ歩を進めると、眼下に広がる海を眺めることができます。

咸臨丸が旅立った浦賀の海を龍馬はどんな想いで見つめるでしょうか。


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勝海舟断食の地から車で約十分。大津に移動します。
ここは「おりょうの街」。

当欄でも霧島(鹿児島)の龍馬とおりょうさんを掲載しました。
龍馬が暗殺されたあと、横須賀保込(現在の大津町)、観念寺(現在の米が浜)と
移り住んだ、おりょうさん。

長生きしたおりょうさんですが、後半生を横須賀で過ごし、大津に眠っています。

亡くなってから142年後、龍馬はおりょうさんのお墓参りをしました。


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おりょうさんもまた長生きし、龍馬が生きた年月の倍を生きました。

龍馬が近江屋事件で暗殺されずに、
その後の人生を生きていたならばどんな展開になったでしょうか。
そして、おりょうさんは龍馬と再会して何を想うのでしょうか。
歴史のIFです。


龍馬ゆかりの地はここでまずはブレークし、
<ご当地フォルムカード>は他の都道府県へと旅を続けます。