2010年08月12日

龍馬ゆかりの地-2



「太平の眠りをさます上喜撰 たった四はいで夜も寝られず」と詠まれた
マシュー・ペリー率いる黒船の浦賀来航。

それは、"いやでござるよペリーさん"と日本史の勉強で
覚えた方もいらっしゃると思いますが、時に1853年のこと。

米国海軍の東インド艦隊の艦船四隻が神奈川県横須賀市の浦賀沖に現れました。

この浦賀来航から六日後、ペリーは久里浜に上陸。
米国大統領の親書を渡し、翌春の日米和親条約締結と日本の開国へとつながりました。

ペリーが上陸した久里浜には、
ペリー来航を記念したペリー記念館、上陸記念碑があります。

<ご当地フォルムカード>第二弾・高知県(坂本龍馬)が、
龍馬ゆかりの地として、広く横須賀エリアに属する浦賀・久里浜・大津を訪れました。

今回はまずは久里浜をお届け致します。


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冒頭で記載した狂歌の詩碑と共に。
この狂歌には、黒船来航による当時の人々の驚きが端的に表現されています。


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ペリー上陸記念碑。
「北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑」の文は、初代の内閣総理大臣・伊藤博文の書。

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ペリーが上陸した久里浜の海をバックに、龍馬が佇みます。

ペリー来航と上陸の頃、龍馬はこの黒船に対する警備をしていました。
その場所が前回掲載した立会川です。
龍馬にとって黒船来航は、江戸に来てすぐの出来事でした。

坂本龍馬とマシュー・ペリーは直接的な邂逅は果たしていません。
もし関わっていたならば、どうなっていたでしょうか。

当時の龍馬は攘夷論に燃えていたとされています。
戦になれば異国の首を討ちとり帰国するという趣旨の手紙もしたためています。

歴史の転換点。直接対峙することはなかった龍馬とペリー。

最後に、時を経て出逢った二人の記念撮影です。


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時代は、江戸の天下太平の眠りから覚め、開国へと向かい、
下田・箱館の開港、勝海舟らによる咸臨丸での渡米へと流れていきました。