2017年03月24日

織田信長


<ご当地フォルムカード>第三弾/愛知県「織田信長」(以下:織田信長)
が愛知県名古屋市の熱田神宮へ詣でました。

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三種の神器のひとつである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の
御鎮座に始まる熱田神宮の創祀。

日本武尊(やまとたけるのみこと)が「神剣」を
今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま
三重県亀山市で亡くなられましたが、
尊のお妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)がその「神剣」を
ここ熱田の地にお祀りになり、以来、熱田神宮は伊勢神宮につぐ
格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめ、
国家鎮護の神宮として特別のお取り扱いを受けるようになった
とのこと。

その一方で、「熱田さま」「宮」と呼ばれ、多くの人々に親しまれ、
初詣全国3位
(出典:楽天トラベル2017年初詣におすすめ!人気初詣スポットランキング)
となっています。


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「織田信長」と熱田神宮の関係は何でしょうか。

近年パワースポットとしても注目を集める熱田神宮。
織田信長もそのパワーにあやかろうとしたのか分かりませんが、
”日本三大奇襲”ともいわれる「桶狭間の戦い」
(尾張の信長が、尾張に侵攻してきた駿河の今川義元・氏真軍を破った戦い)
に臨む前に戦勝祈願で詣でてから出陣したとされています。

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そして見事に戦いに勝利した織田信長は、
その御礼に熱田神宮境内に塀を奉納します。
それが「信長塀」。現在もしっかりと残っています。

名古屋で最初に熱田神宮に詣でた理由が分かりました。

次に、名古屋城へ立ち寄ってみました。


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名古屋城といえば徳川家康ですが、
前史において、駿河の今川氏の支配下に置かれていた
尾張国東半分の最前線である現在の(名古屋城)二之丸あたりに、
今川氏が那古野(名古屋)城を築きました。

その後、織田信長の父・信秀が那古野城主・今川氏豊を追放、
さらに南方に古渡城も築き、名古屋での勢力を強めるに至りました。

あとを継いだ信長は清洲城に拠点を移して
天下統一へ向けて動き出していきました。
さらに拠点を清洲から小牧、岐阜、安土と移していくことで
役割を失った那古野城はやがて廃城となったのでした。

「織田信長」は名古屋城天守と記念撮影し、何を想ったでしょうか。

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名古屋城は現在、平成30年度の全体公開へ向けて
本丸御殿の復元を行っています
(既に半分以上公開中:写真は玄関・車寄外観)。

名古屋城の本丸御殿は近世城郭御殿の最高傑作として
二条城(京都)の二の丸御殿と並ぶ武家風書院造の双璧といわれ、
国宝に指定されていました。

もともと観光名所である名古屋城に
新たな魅力のコンテンツが加わり、全体公開が待ち遠しいですね。


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最後に熱田神宮の風景印をご紹介したいと思います
(風景印日付は画像消去処理をしております)。

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熱田神宮近くの大きな郵便局・熱田郵便局。




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おっと「織田信長」。
現代の名古屋駅付近に現れました。

清洲城から眺めていた名古屋との
劇的な違いに何を想ったでしょうか。

そして「織田信長」。この後、電車で岐阜へ移動するということです・・・。