2010年09月02日

厳美渓と猊鼻渓



岩手県南部、一関市に2つの渓谷美があります。

名前がとてもよく似ているため、
高速道路の料金所などで道順を質問すると
「ゲンビですか?それともゲイビですか?」と逆に聞かれることがあります。

厳美渓はゲンビケイ、猊鼻渓はゲイビケイと読みます。

厳美渓はかつてこの地が伊達藩領だった頃、
伊達政宗公が「松島と厳美渓が我が領地の二大景勝地なり」と語ったといわれています。

国名勝及び天然記念物に指定される景勝地です。

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栗駒山を源流とする磐井川が
巨岩を浸食することで出来た甌穴、滝、深淵の壮観な姿が約2kmに渡り続きます。

その先はまるでアマゾンのような静寂と大河の装い。

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散策した後は最も近い位置にある厳美郵便局へ立ち寄って、風景印を手にしました。
お膝元ですから、風景印も厳美渓です。

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次は猊鼻渓へ脚を伸ばしてみます。

こちらは砂鉄川が石灰岩を浸食して出来た約2kmの渓谷で
舟下りを楽しむことができます。

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岩手県内で国の名勝に指定された第一号がこの猊鼻渓です。

舟下りでは、
猊鼻渓の奇岩を借景に聴く、船頭さんが唄う"げいび追分"が絶品。
心休まるひとときを過ごすことができます。

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猊鼻渓で舟下りを楽しんだ後は、
最寄の東山郵便局へ立ち寄り、風景印をもらいます。

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風景印は猊鼻渓の舟下りの様子が描かれています。

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(風景印の日付は画像消去処理しています)。



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厳美渓。

実はここにも
<ご当地フォルムカード>第二弾/岩手県(かっぱ)が立ち寄っていました。

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2010年08月31日

おくのほそ道-奥州路(1)




我が国の紀行文学史上に残る傑作「おくのほそ道」。

"日本三景"松島から石巻・登米をはさみ
松尾芭蕉と河合曾良のふたりは、いよいよ「おくのほそ道」奥州路のクライマックス、
平泉(岩手県)に入りました。

平泉をめぐる際、逗留したのが一関市の金森邸。
ここは「おくのほそ道」奥州路における最北の宿で、
二泊したことからその宿跡(邸跡)は「二夜庵」と呼ばれています。

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ここを拠点として平泉を遊趣して戻り、そして、
ここから尿前ノ関を越えて出羽路へと入っていきました。


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芭蕉の名句が生まれた地は多々ありますが、平泉でのそれも白眉です。

<夏草や 兵どもが 夢のあと>。

三代に渡った奥州藤原氏の栄華と義経を想い、したためました。
強者たちの足跡。

悲劇の義経最期の地である高舘義経堂から
北上川と束稲山、栄華の跡を眺めます。

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奥州藤原氏の栄華三代の頃(平安時代末期)には、
平泉には10数万人の人口があったとされ、国内で平安京に次ぐ大都市でした。


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その平泉は現在、世界遺産登録を目指しています。
2008年には世界遺産登録の延期が決定されましたが、
来年の登録を目指しています。

登録推薦を行う「平泉の文化遺産」。その中の一つが中尊寺です。

<ご当地フォルムカード>第一弾&第二弾/岩手県(わんこそば/かっぱ)が
まずは中尊寺を訪れました。


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中尊寺へ入る目前、道路沿いに武蔵坊弁慶の墓があります。

弁慶といえば、牛若丸(義経)と弁慶。
義経の忠臣だった弁慶は最期まで義経を守り、
のちに"弁慶の立ち往生"といわれる最期を迎えました。

矢を放たれても義経を守り立ち続けて息絶えた弁慶。ここに静かに眠ります。


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中尊寺。参道は大きな杉並木に囲まれた月見坂。
<ご当地フォルムカード>第二弾/岩手県(かっぱ)が佇みます。


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<ご当地フォルムカード>第一弾/岩手県(わんこそば)も
真夏の中で涼感漂う竹林を前に記念撮影です。


そして、国宝・金色堂へ向かいます。

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芭蕉が<五月雨の 降り残してや 光堂>と詠んだ金色堂へと
つらなる石段と新覆堂。

シャワーのようにひととき降った雨が、ほどよく石段を濡らしています。

この新覆堂の中に燦然と光を放ちながら屹立する、国宝建造物第一号の金色堂。

ここには奥州藤原氏初代・清衡、二代・基衡、三代・秀衡の御遺体、
四代・泰衡の首級が安置されています。

血筋が明らかな四代親子の御遺体の存在は、世界に例を見ないということです。
荘厳な空間がこの中には広がっています。


金色堂を訪れて坂道をまた登ると旧覆堂が見えてきます。
その手前に松尾芭蕉の銅像と句碑が建っています。

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金色堂に溜息をもらし、
芭蕉の句がごとく降り残した雨が濡らした石畳を下り、
<ご当地フォルムカード>は中尊寺を後にして毛越寺へと向かいました。




2010年08月31日

<ご当地フォルムカード>チラシ



<ご当地フォルムカード>のチラシをPDFファイルで
ダウンロードできるように致しました。

下記、POSTAウェブの<ご当地フォルムカード>ページ下部の
バナーをクリックにてダウンロードすることができます。

http://www.postacollect.com/gotochi/index.html


ご活用頂けますと幸いです。



2010年08月27日

彦根より



昨日お届けしました
<ご当地フォルムカード>第二弾/滋賀県(彦根城・琵琶湖・竹生島)にまつわる
風景印を彦根よりご紹介したいと思います。

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彦根城と琵琶湖の多景島が描かれています。こちらは彦根郵便局です。




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そしてこちらは彦根城天守閣と多聞櫓で、彦根駅前郵便局です。




(風景印日付は画像消去処理をしています)。



次回から
<ご当地フォルムカード><ポスト型はがき>の旅は、予告通り東北をめぐります。





2010年08月26日

国宝四城の壱



江戸時代及びそれ以前に建てられ、そのまま現在まで保存されている天守は、
「現存天守」と呼ばれ、全国に12あります。

北から,弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、
松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城。

さらにその現存12天守のうち国宝となっているのが、4つ。
松本城、犬山城、彦根城、姫路城は「国宝四城」と呼ばれています。
姫路城は中でも世界遺産でもあります。

この国宝四城からは<ご当地フォルムカード>では、
松本城と彦根城が第二弾で登場しています。

今回の<ご当地フォルムカード>の旅は、
第二弾/滋賀県(彦根城・琵琶湖・竹生島)が彦根城を訪れました。


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彦根城は、明治時代に一度、解体の危機に見舞われました。

その時、彦根城を救ったのは明治天皇。
1878年10月に北陸巡幸を終えた明治天皇が、
彦根を通られた際に「保存するように」と大命を下されたからといわれています。

戦国時代の名残とどめる城として解体されずに残った彦根城は、
1952年に国宝に指定され、2007年には築城400年祭を迎えました。


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彦根城といえば思い浮かぶのは、近江国彦根藩主家・井伊氏です。

徳川四天王として家康の天下獲りを支えたのが、彦根藩初代藩主の井伊直政。
現在の彦根市発展の礎を築いた人とされています。

彦根城にほど近い彦根駅前には、その直政の銅像があります。


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彦根城から琵琶湖側を見てみます。

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琵琶湖は日本で最も大きな湖です。
その周囲は広く、エリアも湖北、湖南、湖東、湖西に分かれます。

<ご当地フォルムカード>第二弾/滋賀県に描かれた竹生島は湖の北部に浮かび、
彦根城はタテに長い湖のちょうどセンターあたりの東側にあります。

琵琶湖を南へ行くと、
京阪地区との交通の要衝であり、県庁所在地である大津市に着きます。

瀬田の唐橋の他、大津市には木曾義仲が眠る義仲寺があります。
ここにはまた、湖南とその地の人々を愛した松尾芭蕉も眠っています。


<ご当地フォルムカード>の旅は次回から、
松尾芭蕉の「奥のほそ道」を辿る旅で東北をめぐってみたいと思います。




2010年08月24日

龍馬ゆかりの地-3



龍馬をめぐる横須賀エリアの旅、最終回。
浦賀と大津を辿ります。

1860年。日米修好通商条約の批准書を交換するため、
幕府は米国に遣米使節を派遣しました。
本隊となる米国海軍船の護衛名目で随行したのが、咸臨丸。

福沢諭吉、ジョン万次郎などと共に乗り込んだのが勝海舟。

航海中の勝が船酔いで使い物にならなかったという説や
伝染病に感染したため自室に籠っていたという説などがありますが、
いずれにせよ咸臨丸の船内環境や航海中の天候(悪天候が続いたといわれています)
などにより、厳しく過酷な旅だったことが想像されます。

海外で見聞を広めた勝は、攘夷論ではなく、
欧米列強との関係性を踏まえて開国を説きました。

その勝に面会を申し入れて赤坂の勝邸を訪問したのが、
攘夷論を押し進める坂本龍馬。相反する考え方の二人が邂逅しました。

考え方の相違から、勝を斬りに来た龍馬でしたが、
勝の見識の広さに敬服し、弟子入りしたわけです。

龍馬は勝より先に亡くなります。
長生きした歳上の勝。勝の半分の年齢も生きなかった龍馬。

<ご当地フォルムカード>第二弾/高知県(坂本龍馬)が時を経て、
勝と再会を果たしました。


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横須賀市浦賀。黒船が来航した地。
ペリー来航から七年後、咸臨丸で米国へ旅立つ前、
勝はこの地で断食してまで切実な想いで航海の無事を祈願しました。

この高台から海側へ歩を進めると、眼下に広がる海を眺めることができます。

咸臨丸が旅立った浦賀の海を龍馬はどんな想いで見つめるでしょうか。


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勝海舟断食の地から車で約十分。大津に移動します。
ここは「おりょうの街」。

当欄でも霧島(鹿児島)の龍馬とおりょうさんを掲載しました。
龍馬が暗殺されたあと、横須賀保込(現在の大津町)、観念寺(現在の米が浜)と
移り住んだ、おりょうさん。

長生きしたおりょうさんですが、後半生を横須賀で過ごし、大津に眠っています。

亡くなってから142年後、龍馬はおりょうさんのお墓参りをしました。


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おりょうさんもまた長生きし、龍馬が生きた年月の倍を生きました。

龍馬が近江屋事件で暗殺されずに、
その後の人生を生きていたならばどんな展開になったでしょうか。
そして、おりょうさんは龍馬と再会して何を想うのでしょうか。
歴史のIFです。


龍馬ゆかりの地はここでまずはブレークし、
<ご当地フォルムカード>は他の都道府県へと旅を続けます。