2017年04月21日

出展のお知らせ


ポスタルスクウェア(株)は4/21(金)〜23(日)に
東京都立産業貿易センター台東館で開催される
「スタンプショウ2017」に出展致します。

41回目を迎える「スタンプショウ2017」の企画展示
<ご当地フォルムカード展>では、
ご当地フォルムカード愛好家のコレクションが展示されます。

当社では、<ご当地フォルムカード>のデザインが制作される過程を、
原画や写真、スケッチなどの展示によりご紹介します。
初公開素材も満載です。

また、<ご当地フォルムカード>のディレクターが適宜、解説します
(不在の際はご容赦願います)。
さらに、サンプル商品アンケートや、数量限定での試行商品の販売を実施します。

皆さまのお越しをお待ちしております。

※詳細情報は以下にてご覧ください。
◆「スタンプショウ2017」ホームページ内
 ご当地フォルムカード展紹介ページ
 http://yushu.or.jp/event/s_show2017/list/ex_kikaku02.html

◆POSTA COLLECTホームページ内新着情報
 「スタンプショウ2017」への出展のお知らせページ
 https://www.postacollect.com/news/「スタンプショウ2017」への出展のお知らせ/


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2017年04月18日

織田信長-2


<ご当地フォルムカード>第三弾/愛知県「織田信長」
(以下:織田信長)が名古屋から岐阜へ向かいました。

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JR岐阜駅前で黄金の織田信長像と記念撮影。

駅前は「信長ゆめ広場(中央広場)」として整備されています。
イベントなどに利用できる三日月型ステージや音響設備が設置された、
にぎわい創出の中心となり、
その全体を黄金の織田信長像が見渡している感じです。

岐阜市のホームページ記載によれば、
この黄金の信長像は
岐阜市民の皆様からの寄附によって建立されたそうです。
さすが織田信長の岐阜、岐阜の織田信長といえましょうか。


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2017(平成29)年の今年は特に織田信長と岐阜の節目でもあります。
「織田信長公岐阜入城」「岐阜命名」450年という節目の記念イヤーです。


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岐阜城と記念撮影。

今から450年前の1567(永禄10)年。
斉藤龍興を破った織田信長は本拠地を移し、
町名を「井口(いのくち)」から「岐阜」へと改めたとされています。


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岐阜城天守へ向かうロープウェイと、眼下に見える川は
鵜飼で名高い長良川。
織田信長は鵜飼を芸能としても重んじたとされています。

”漁”である鵜飼に
”観覧”するという側面に光を当て接待などで重宝しました。
1568(永禄11)年には
武田信玄の使者・秋山虎繁も船上での鵜飼観覧に興じたとされています。



最後に、岐阜県庁の中にある郵便局、
岐阜県庁内郵便局の風景印をご紹介したいと思います。
さすがに岐阜県を代表する図案となっています。


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県庁舎に、鵜飼の鮎と金華山、岐阜城天守閣ですね
(風景印日付は画像消去処理をしております)。






2017年03月24日

織田信長


<ご当地フォルムカード>第三弾/愛知県「織田信長」(以下:織田信長)
が愛知県名古屋市の熱田神宮へ詣でました。

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三種の神器のひとつである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の
御鎮座に始まる熱田神宮の創祀。

日本武尊(やまとたけるのみこと)が「神剣」を
今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま
三重県亀山市で亡くなられましたが、
尊のお妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)がその「神剣」を
ここ熱田の地にお祀りになり、以来、熱田神宮は伊勢神宮につぐ
格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめ、
国家鎮護の神宮として特別のお取り扱いを受けるようになった
とのこと。

その一方で、「熱田さま」「宮」と呼ばれ、多くの人々に親しまれ、
初詣全国3位
(出典:楽天トラベル2017年初詣におすすめ!人気初詣スポットランキング)
となっています。


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「織田信長」と熱田神宮の関係は何でしょうか。

近年パワースポットとしても注目を集める熱田神宮。
織田信長もそのパワーにあやかろうとしたのか分かりませんが、
”日本三大奇襲”ともいわれる「桶狭間の戦い」
(尾張の信長が、尾張に侵攻してきた駿河の今川義元・氏真軍を破った戦い)
に臨む前に戦勝祈願で詣でてから出陣したとされています。

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そして見事に戦いに勝利した織田信長は、
その御礼に熱田神宮境内に塀を奉納します。
それが「信長塀」。現在もしっかりと残っています。

名古屋で最初に熱田神宮に詣でた理由が分かりました。

次に、名古屋城へ立ち寄ってみました。


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名古屋城といえば徳川家康ですが、
前史において、駿河の今川氏の支配下に置かれていた
尾張国東半分の最前線である現在の(名古屋城)二之丸あたりに、
今川氏が那古野(名古屋)城を築きました。

その後、織田信長の父・信秀が那古野城主・今川氏豊を追放、
さらに南方に古渡城も築き、名古屋での勢力を強めるに至りました。

あとを継いだ信長は清洲城に拠点を移して
天下統一へ向けて動き出していきました。
さらに拠点を清洲から小牧、岐阜、安土と移していくことで
役割を失った那古野城はやがて廃城となったのでした。

「織田信長」は名古屋城天守と記念撮影し、何を想ったでしょうか。

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名古屋城は現在、平成30年度の全体公開へ向けて
本丸御殿の復元を行っています
(既に半分以上公開中:写真は玄関・車寄外観)。

名古屋城の本丸御殿は近世城郭御殿の最高傑作として
二条城(京都)の二の丸御殿と並ぶ武家風書院造の双璧といわれ、
国宝に指定されていました。

もともと観光名所である名古屋城に
新たな魅力のコンテンツが加わり、全体公開が待ち遠しいですね。


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最後に熱田神宮の風景印をご紹介したいと思います
(風景印日付は画像消去処理をしております)。

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熱田神宮近くの大きな郵便局・熱田郵便局。




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おっと「織田信長」。
現代の名古屋駅付近に現れました。

清洲城から眺めていた名古屋との
劇的な違いに何を想ったでしょうか。

そして「織田信長」。この後、電車で岐阜へ移動するということです・・・。


2016年12月27日

天橋立


京都府内で京都市に次いで多くの観光客数を誇るのが天橋立。
府の北部、日本海の宮津湾にあり、松島(宮城県)・安芸の宮島(広島県)
とともに「日本三景」とされている特別名勝。

<ご当地フォルムカード>第四弾/京都府「天橋立」が、
天橋立に里帰りしました。

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約8,000本の松が茂る幅約20〜170m・全長約3.6kmの砂浜。
その珍しい地形が、天に架かる橋のように見えることから
「天橋立」という名がついたそうです。

砂浜を歩いたり、船に乗ったり、
天橋立の楽しみ方はいろいろありますが、
神秘的な自然の美を楽しむひとつとして有名なのが、
展望所からの眺望。

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展望所にある「股のぞき台」で
多くの観光客が股のぞきをして楽しんでいます。
<ご当地フォルムカード>「天橋立」も
その絵柄の場所に立って景観を楽しみました。

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展望所にはリフト、ロープウェイ
どちらも利用が可能です。
<ご当地フォルムカード>はひとりで乗ることができるリフトを利用。
下りの際は、次第に目前に迫る「天橋立」の迫力を感じることができます。

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京都丹後鉄道宮津線が走っているので、
「天橋立」には電車でもアクセス良く行くことができます。
最寄駅は、天橋立駅。ロープウェイ、リフト乗り場までは駅から徒歩約5分程度です。

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せっかくここまで来ましたので、
さらに府内を北へ行ってみました。「海の京都」といわれる伊根町。

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海辺に密集して建つ家々。
海の上に浮かんでいるように見えますが、
それぞれの家の一階は船のガレージになっていて、
二階が居室になっているとのことです。

希有な景観は多くの映画のロケ地としても使われている他、
「伊根浦」として全国の漁村では初めて
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。


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<ご当地フォルムカード>「天橋立」が船上からご挨拶。


最後に、「天橋立」の風景印ご紹介です。
さすがに名所ですので図柄に採用されています。
先述した天橋立駅近く、天橋立駅前郵便局の風景印です。

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図柄は展望所から見た天橋立と
可動橋の廻旋橋、知恵の輪燈籠ですね
(風景印日付は画像消去処理をしております)。






2016年12月05日

富山の売薬


<ご当地フォルムカード>第七弾/富山県「富山の売薬」が
富山市にやってきました。

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北陸新幹線開業後、はじめての富山市訪問。
JR富山駅も一段ときれいに生まれ変わりました。


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富山市の象徴ともいえる立山連峰は変わらぬ壮麗な姿を見せてくれます。

JR富山駅の南口駅前の通りを渡ると
北陸新幹線開業前から変わらず「富山の売薬」の像があります。

<ご当地フォルムカード>「富山の売薬」が
表敬訪問で記念撮影をしました。

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銅像は同じ場所にふたつのバージョンがあります。


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「先用後利」(得意先である各家庭に薬を預けて先に使ってもらい、
使った分の代金を後で受け取る)という、
消費者にとって便利な商法が、
富山の薬を全国に浸透させる源になったとされています。

家庭を回る際に、
そこに子供がいたらお土産も渡していたそうで、そのひとつが紙風船。
銅像でも<ご当地フォルムカード>でも子供が持っているのが紙風船ですね。


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JR富山駅から車で約20分。
北陸新幹線の撮影スポットのひとつでもある
呉羽丘陵に富山市民俗民芸村という博物館群があります。

そのひとつに富山売薬関係史資料の保管、展示、収集を行っている
「売薬資料館」があります。

製薬道具、売薬のおまけ・進物類(売薬版画、紙風船等)、
柳行李や懸場帳などの行商用具など興味深い数多くの展示があります。

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富山駅前郵便局の風景印をご紹介します。
まさに図案は「富山の売薬」です。

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背景にはさすがにシンボルの立山連峰も描かれています
(風景印日付は画像消去処理をしております)。




最後にJR富山駅前で記念撮影して、富山市とお別れです。

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2016年11月30日

錦帯橋


<ご当地フォルムカード>第二弾/山口県「錦帯橋」が
ついに故郷・岩国市に里帰りしました。

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岩国といえば作家・宇野千代さんのふるさととして知られている他、
シロヘビも有名です。そして岩国を象徴する存在が「錦帯橋」。

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日本三名橋のひとつとされる五連の反り橋
(中央の三連はアーチ橋)が特徴的な木造橋。

橋下を流れる清流・錦川、
橋向こうの山上に建つ岩国城と重なって
山紫水明の風景に見事に映えます。

訪問時はあいにくの雨模様でしたが、
<ご当地フォルムカード>「錦帯橋」が記念撮影をしました。

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「流されない橋を作りたい」という
先人たちの情熱と技術の結晶は、
フォルム美をも生んだといえましょう。

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当欄二枚目の写真で見える中央の三連アーチ橋
それぞれの経間は35メートルですが、その間は脚がありません。
経間35メートルを無脚で実現させたアーチ橋は
頑丈な組木技法によって橋の上からの圧力で
さらに強度が増すという仕組みになっているそうです。

錦帯橋が完成した300年以上も前に
そういった技術力があったことも驚きです。

現在の錦帯橋は「平成の架け替え」によって
2004(平成16)年に、
当初のアーチの美しさにこだわって生まれ変わったものです。


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うっすらと背後の山上にお城が見えるでしょうか。

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岩国藩初代藩主・吉川広家が1608(慶長13)年に、
暴れ川といわれる錦川に囲まれた
天然の要害の地である横山の山頂に築城したのが岩国城。

その後、第三代藩主・吉川広嘉が錦川に橋を架けることを決め、
1673(延宝元)年に錦帯橋は完成したのでした。


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錦帯橋の近くには、凛々しい佐々木小次郎の銅像があります。
作家・吉川英治氏が
「佐々木小次郎が、錦帯橋畔で柳の枝が燕を打つのを見て
”燕返し”の術を得た」という逸話をこの岩国で創作したそうです。

佐々木小次郎が用いた太刀は
物干竿とよばれる長尺なものだったとされているだけに、
銅像の小次郎が持っている太刀も相応のものですね。


最後に、岩国郵便局の風景印をご紹介したいと思います。

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錦帯橋のアーチの美しさを表現した風景印です
(風景印日付は画像消去処理をしております)。